今回の物質試行47−金刀比羅宮プロジェクト−を見学させていただいた。そこから見
受けられる鈴木像を想像してみた。実際自分が知っているのは物質試行45−神宮前の
住宅−とその他の数作品のみでほとんど知らない。まして、実際に現場まで行って見
ることは初めての事だった。自分の目で見た鈴木氏の建築は何か言い表すことの出来
ない違和感の連続が目の前に広がってきた。久々に建築を見て興奮させられた。

この興奮の要因は今回の敷地となった金比羅の大自然に対しての建築の崩壊ではない
かと考えた。一般的に目の前に大自然が広がっていれば、それを利用するように調和
をはかった建築を建てていくものであろう。確かに鈴木氏が社務所や斉館などの中枢
施設を地下空間に入れ込んだことを考えれば、自然の中に溶け込むように仕組まれた
と言える。しかし、鈴木氏は人工地盤としての地下空間に建築の崩壊するシーンを点
在させている。そこには鈴木氏が「建築とは人工的な遺物であり、自然とはかけ離れ
たものなんだよ。」と言っている様にすら感じられた。その例として、今回添付した
写真のように一見窓も無く借景を思い起こさせるようなシーンを作っている。だが、
そこには一面にガラスが張られ自然の空気など微塵も感じさせないような構成になっ
ている。また、多くのスリットや隙間、大ガラスを使うことで予測不可能な事物を構
築していた。それによっておじさんは前にガラスがあるとも知らずに階段めがけて歩
き、ガラスに頭をぶつけていた。これは鈴木氏が想像していた通りの行動で、これは
建物は均質空間であるという固定観念から生まれたものだ。しかし、鈴木氏の建築は
徹底的に連続的な建築を崩壊させることにより、予測不能な空間を作り上げた為にそ
のような不測の事態を招くのだ。そうする事で逆に自然を再認識させようとしたので
はないだろうか。