金毘羅宮の新庁舎を最初に見た時、それまで参道において見てきた建物や周囲の既
存の庁舎に比べてあまりにも現代的な建物で、金毘羅宮やそれを取り囲む自然におい
て極めて異質なものであるように感じた。一見現代的な地下部分とそれに囲まれ存在
する盛り土をしただけのような異様な中庭がこの印象を強くした。

 だが、さらに新庁舎に近づき、実際にその空間を体験すると最初に感じた単に現代
的、異質であるといった印象は徐々に変化する事となった。
 金毘羅宮(参道)が多様なシークエンスを持っているのと同様にこの新庁舎が実に
多様なシークエンスを持っている事を実感したからである。金毘羅宮における魅力的
なシークエンスの成立には、勾配の強さなどの地形的要素だけではなく、長い歴史に
基づく経験的なものが大きく作用する。このシークエンスが持つ特徴的な要素を鈴木
氏は「引用」するが、その引用の仕方が多様であり、その引用が一見非常に現代的な
建物に対して行われたために、その引用の痕跡はほぼ隠蔽されている。

 具体的にどのような要素を引用したというのか、私が思いあたるものについて述べ
てみる。
 金毘羅宮の参道は本殿へと直進するのをさまたげるかのように、途中幾度も折れ曲
がる。この参道の屈折が金毘羅宮のシークエンスにおける最大の魅力である。鈴木氏
はこの参道の屈折という要素を短い、それも軸性の強い建物の内部に引用している。
その引用の仕方は単に動線を屈折させるというものではなく、壁の配置を検討する事
であったり、多数のスリットを設け動線とは異なる方向を持つ光と影のラインを壁や
床に描くというものである。

 参道の階段の一点に向けられている視線を背後の讃岐平野へと移動させた時の想像
を超える視野の広がりについても、地下空間や階段の踊り場における大開口(添付写
真)において引用されている。
 参道の階段自体についてはそれを垂直に立て擁壁とするという大胆な引用がなされ
ているが、これは参道の脇に重なりあった商店の姿の引用のようにも見える。
 参道の持つ多様な色や質感は素材の色や質感の多様さによっても引用されているよ
うに思える。
 このようにして見ていくと異様に感じた中庭の盛り土は金毘羅宮のある象頭山を引
用したものではないかと感じてくるので不思議である。
 最初に単に現代的、異質であるといった印象を受けた新庁舎には、長い歴史によっ
て生まれた金毘羅宮のシークエンスからの引用が多分に含まれており、それでいて現
代的、異質であると感じてしまうという事実は鈴木氏の引用の巧みさを物語っている
のではないだろうか。