金比羅宮にたどり着くまでに被験者は、過酷な斜面を上り詰めなければならない。そ
の過程で我々は自然の荒々しさと、その中に絶妙に点在する建物、つまり人工物の存
在を確認する。そして実質上、頂上としての空間に金比羅宮は存在する。その建物を
始めに見たときまず、そのあらゆる物質の集積された、大きなうごめく塊のような外
観に驚かされる。
その理由としては、使用されている素材の多様さがまず初めに考えられるだろう。斜
面に垂直に切り立った擁壁の石柱の集積は、自然に対しての、人間の最大限の抵抗の
ように感じられる。それは荒々しい自然の力に対して人間が素直に答えているような
景観である。
次に、主に内部のフロアと柱を構成している、赤く錆びた鉄板の配置の仕方である。
これもまた、一見無造作に配置されているような感覚をまずおぼえるが、しかし、内
部、外部を歩き回ってみると、グリット上に配置され、天井までまっすぐ伸びている
この鉄板の作り出す空間は、意外に整然としており、静的な魅力を感じられる。
各部材の荒々しい主張と、組み合わせを何かわからないまま感じていくうちに、いつ
のまにか何か違う感覚を覚えていく。それは各部材が建物と自然の中において、衝突
しつつも何か相互に調和しているような、実は細部に対して繊細に答えているのかと
いう期待感である。やはり、そのような目で空間の細部を見ていくと、各部材にはそ
の空間を構成するにあたってのいくつかの必然性が存在し、それらが荒々しい部材一
つ一つに絶妙に関係づけられ、各空間を形成、連関させている。
第一印象でまず疑問であった手つかずのような中庭空間は、その意味で見ていくと、
本来建物全体の中心的な位置にあり、導線として機能すべき場所にあるにもかかわら
ず、逆にいくつか設置されている導線を、何か分断しているような存在意義が読み取
れる。しかしそれは建物全体において各要素の集積があの場所で衝突し合い、またあ
の過酷な自然環境における建物と自然の間の、なにか相反するものが出会ったときの
「ひずみ」のようなものではないかと解釈し始める。
つまり、各部材がそれぞれ直接自然と向き合うような荒々しさと、建物の構成物とし
ての繊細な振る舞いの両者が共存した建物であり、この頂上の建物にたどり着くまで
に確認できる既存の建物とは違う、自然と人工物の、新しい形の共存の仕方を感じ取
れる。