鈴木了二設計の金比羅宮を見学した。何百段もの石段を登り、眼前に現れたのは「不
自然」な建築であった。つまり、あるべきはずのものがない、あるいは見えないはず
のものが見える、といった不自然さを伴う建築であったのだ。
石段を登り、自然なシークエンスで神礼授与棟を横目に見ながら齋館棟に到達する
と、目の前に階段がある。自然に、ごく自然に階段を下りると、最初の不自然な経験
をする。階段が突如中断され、深緑の中には不自然な色をした赤茶色の前庭に放り出
されるのだ。
おそらく鈴木は、与えられた与条件から自然な建築の形を一旦は構成する。それは非
常に秩序化された自然な形であったと推測されるが、その後描かれた平面スケッチ、
断面スケッチを、時には先の尖った消しゴム(スリット)で、時には丸まった消しゴ
ム(前庭)で慎重に消去する。意図的に不自然を挿入する。
通常、最初にできた形(全体像)を消しゴムで切断・消去しても、前段階としての全
体主義的な形が不可避的に残ってしまう(安藤忠雄・リベスキンドがそうだ)が、鈴
木の消しゴムの動きは異常に緻密だ。元の全体主義的な秩序を別の秩序(−部分の集
合)に転換するのだ。
例えば、エントランスの左手にある、交差されたスリット。もしもスリットが無けれ
ばこの部分の人口地盤は単純な2つの長方形の重ね合わせとして明確な秩序を持つ
が、スリットを入れ、しかもそこにあるはずの梁までも消しゴムで消去することで、
別の形の組み合わせを来訪者に経験させる(写真1)。不自然な事物の経験は混乱と
新たな発見を誘発する。

帰阪し、鈴木の文章を読んだ。すべての不自然な経験が一本の線に繋がった気がした。
「だから、複数集まったそれらの集合が必ず一方向を指すとは限らないし、それどこ
ろかおのおのはバラバラで時には矛盾しさえすることの方が自然だろう。「秩序」の
全集合は、本来「非秩序」的なもののはずだ。」(鈴木了二著 建築零年より)

この文章を読んで、真っ先に「星座」を思い浮かべた。一見非秩序的にみえる星空は
「星座」という秩序の全集合とも捉えられるからだ。しかし、おそらくこの文章が意
味するのは星座のイメージではない。なぜなら星空を星座として秩序化するのは私の
主観によるが、金比羅宮では(ある種の強制力を伴って)知らぬ間に秩序が転換して
いるからだ。主観の入る余地はない。そこまで考えて、この建築の空間的な強度に心
底驚いた。鈴木了二が「星座」なんてかわいらしいものをつくるはずがないのだ。