大阪市立大学工学部建築学科

2005年度 設計演習「21世紀の若者宿」


秋祭りの前夜、神社の庁屋に集って「おこもり」をする様子
引用図版=『日本の民族【下】暮らしと生業』(株式会社クレオ 1997)

□提案者 中谷礼仁、志柿敦啓(志柿敦啓建築設計事務所)
□内容 君たちの理想とする若者宿(註)を計画、提案しなさい。
□背景

コンビニ前に行くと、その駐車場で高校生ぐらいの若者たちが半ば座りながら,だらしなくたむろをしている光景にでくわすことがある。そのとき皆さんはどう感じるだろうか?提案者は「きたねえなああ」と思うと同時に、その行動がわからないわけではないという複雑な感情を持つ。高校の頃の自分をふりかえってみても、親と居るより友達と夜まで遊んだり何かを話していたりすることの方が多かったし楽しかったと思うからだ。幸い提案者の場合には、半ば親と自立して長時間過ごせるような居場所があった。それはたとえば故郷から東京に出て既に一人暮らしをしていた友人の高校生の部屋であった。でもそのような物理的な空間がなかったら、もしかすると提案者もコンビニ前でスケボーしていたかもしれない。実はこのような青年(女性も含む)期を同性だけで過ごす空間が、ほんの半世紀前までにはふつうに存在していた。それを一般に「若者宿」といった。たとえば町内の祭りのときに「若連」とかそういう印を付けた法被を着ることがあるが、それは若者宿で結束した青年共同体があった名残なのである。親から自立しつつある頃に、自ら律する空間を作り維持することはとても大事なことだと提案者は君たちに提案する。というわけで、ぜひともコンビニ前の人たちのためにも、21世紀の若者宿をつくってください。

□提出日 2006年1月11日(水曜日)
□講評会 2006年1月18日(水曜日)
□提出物

複数のA2ケント紙の屏風とじ、表紙、裏表紙をつける。そのなかに
・ 問題の提示,その解決のための宿の建設方法,運営方法、空間的・機能的特色の提案図、イラスト、軸組図、ダイアグラムなどを積極的に用いること。文字だけでは理解できない。最悪自分たちでしつらえられる構法を想定して提案すること。
・模型 1/20-1/50(内部の様子、外部周辺まで作成すること)
・周辺敷地図:1/500または1/1000程度(白地図、住宅地図を利用してよい)
・敷地図ならびに平面図(配置平面図):1/50
(大阪市立大学周辺(我孫子、長居、住吉など近距離まで含む)から、絶好の敷地を探すこと。またその敷地のみでなく敷地の周囲もきちんと描写してその場所の性格を明らかにすること)
・各階平面図:1/20-1/50(境界線は必ず明示すること)
・立面図:1/20-1/50、4面以上
・展開図ふくむ断面図:1/20-1/50、2面以上
・外観あるいは内観パース(写真不可)

□日程

2005年11月30日(水曜日)4限 プレゼンテーション説明 with 志柿
2005年12月07日(水曜日)問題の把握 とりあえず町を歩く
2005年12月14日(水曜日)エスキース 
2005年12月21日(水曜日)エスキース 特別授業 模型の作り方(志柿)
2005年12月28日(水曜日)エスキース(志柿)
2005年01月11日(水曜日)授業終了までに提出
2005年01月18日(水曜日)外部講評者を含めた講評会 (志柿)


註)若者宿とは
この呼称は,(1)若者組の集会場,(2)若者たちの宿泊所・たむろする建物,(3)若者たちの仕事場,の以上いずれにも用いられるとともに,そこには娘たちによる娘宿と区別した意味も込められている。(2)は,寝宿・泊り宿・遊び宿などとも呼ばれるものであるが,(1)と(2)や,(2)と(3)を兼ね備えた施設もある。若者組は,青年型と青壮年型の二種類に大別されるが,いずれも(1)の意味での若者宿は所有していた。ただし,西日本に比較的色濃く分布していた青年型の若者組の集会場は(2)の宿泊所を兼ねた型が多かった。すなわち,青年型の若者組の分布と(2)の寝宿などの分布はかなり重なるとともに,ムラのなかに数軒設けられた寝宿や遊び宿の一つが集会場としても兼用されたのである。一方,青壮年型の若者組には(2)を伴うものは少なく,ただまれに宿泊所を兼ねた集会場があったにすぎない。(3)は主として漁業と結びついていた。夜間の出漁に備えて若い舟子たちが宿泊したり,網のつくろいをしたりする場所であり,したがって網元の家の一部が当てられたりした。ところで,若者組の集会場として神社の一部や庵などが利用された例もあるが,一般的には(2)と同様に民家の一部を借用する場合が多かった。大きな構えの家・気易く借りられる家・老人夫婦の家とか新婚夫婦の家などが選ばれ,そこで正月の初寄合いとか制裁のための集会が開かれたのである。また祭礼に際しての演し物の準備作業をそこで行うこともあった。民家を一時的に借用する場合は別として,寝宿としても使用するときには,宿の主人夫婦が宿親,寝泊りする若著は宿子となり,宿親が宿子に忠告や助言をし,若者が宿を脱けた後も生涯にわたって両者の間に親密な交際が続けられた。また借用期間の長短にかかわらず,若者から宿に対して謝礼として食料品や雑貨品などが贈られるのを常とした。なお近代に入り,若者組が青年会や青年団などの新しい組織に改編されるに伴い,青年倶楽部といった名称の青年専用の半永久的な建物が各地につくられた。しかし名称は変わっても,今でも若者宿時代の慣習を多分に残している例が,西日本の漁村部には時おり残存している。
〔参考文献〕有賀喜左衛門「日本婚姻史」『有賀喜佐衛門著作集6』1968,未来社、瀬川清子『若者と娘をめぐる民俗』1972未来社
出典:http://www.tabiken.com/history/doc/T/T343C100.HTML