高過庵が車から見えると、みんなが一斉に声を上げた。「出たー。」
僕はそれまで車内で寝てしまっていたので、寝ぼけながらにしてその姿を見ることになった。車内から外を見渡すと、広い畑の中に既にその姿が現われていて、車内を見返すと、みんなが笑っていた。
この建物の面白いところは、ここを訪れた誰もが口を開けたまま上を向いてにやにやしてしまうところだと思う。写真では何度か拝見する機会を得ていたが、実際にその全貌ー風貌・たたずまい・周囲の風景などーを目の当たりにしてしまうと、なぜか笑いがこみ上げてくる。
それは建物だけでなく、周囲に様々に散りばめられていた物に依るところも大きいかもしれない。上方の道路との境界にはさわらが一列になって場を取り囲み、その内側にはねぎ等の作物が耕されており、その畑が下方にすーっと延びている。それら周囲の要素群のそれぞれがこの建物と共存している。
一方で高過庵内部に入る行為自体にも、笑いは浸透してくる。藤森さんのお父さんのご協力で梯子を設置したとき、それに誰かが昇るとき、誰かが中から外を覗いているとき、自分が昇る順番を待つとき、中に入っていくとき、それらのシーンが展開する度に全員が笑顔で見守っている。その様子を見ながら自分も笑っていることに気付く。
これほどわくわくさせられた建物に初めて出会ったように思う。そしてこれほどに人がわくわくしているところを眺められる建物にも初めて出会った。ここでは、訪れた人全員がにやにや・わくわくを共有しているのである。
高過庵を見つけたときにも、入ったときにもそれは共通していた。