7月10日、9:30、曇。時折雨もちらほらと。

諏訪湖畔の旅館を出,高過庵へと向かう。道中で雨が足跡を消し、道に迷い間違えた事もあり、なんとか辿り着いた時にはそこがどこなのか見失っていた。

山腹に浮かぶその姿。あまりのかわいさにギャーと騒ぎたててしまう。

一呼吸おいて藤森さんのお父さんに会い、鍵である梯子をお借りする。男三人がかりで運び設置する。晴れ間ものぞき始めた頃,一人,二人と上り始める。皆も興奮のあまりギャーギャーと奇声を発している。高過庵もそれに合わせて、右に左に揺れる揺れる。

揺れる中、外を眺め、糸電話をし、ねころぶ。

記録係をしていたので、地上に降りて正気に戻った皆に感想を聞いて回る。が、誰も具体的に建築については語らない、ドラッグをやっているかのように笑ってばかりだ。そういえば、一時間ほどいたのに建築を見たという気がしない。それでも、体感したという事実はそこにある。

今までのように見て、感じて、考えるというようなプロセスはまったくふませてくれるものではなかった。しかし今回は、なにか初源的な部分で良いと分かってしまうそういう感じ方をさせられた。高過庵は自分の持っていた建築という枠組みを越えてくれるものであったのだ、と。

誰もがゴンのようになってしまう。

「なんにもない大地に、ただ風が吹いている」だけでいいや、と本当に思える。