2005.7.10 雨のち晴れ
10時30分高部に到着。
車の中から高過庵がみえた瞬間思わず叫んでしまった。車からすぐに降りて高過庵にむかって走り出したい衝動にかられた。それをなんとか押さえ込み、とりあえず車で高過庵まで向かう。
少し高台にある高過庵は存在感をだしつつも山の中にうまく溶け込んでおり、現代建築とは思えない。まるで昔からそこにあったようである。
とりあえず興奮を抑え、藤森先生のご実家に挨拶へ向かう。ご実家は山の下にあるのだが山をおりつつ高過庵を見上げる。こんなに自然に溶け込める建築があるのだ。
藤森先生のお父様はとても気さくでかわいらしい方だった。ご挨拶をした後早速一緒に高過庵へ向かう。中谷先生とお父様の歩き方がそっくりでまるで親子のようだった。高過庵に近づくにつれ心の高揚がおさえきれない。下から高過庵のそばで待っている皆に手を振る。皆が笑顔だ。とても楽しくなった。心配していた天気も、太陽が顔を出し始めてだんだんとよくなっていった。太陽までも私たちに味方してくれたようだ。昨日の嫌な出来事も疲れも全部吹き飛んでしまった。
隠し場所からはしごを持ち出し、ついに設置。地上と上空の部屋が結ばれた瞬間である。またもや叫び声があちこちで聞こえる。高過庵についてからというもの皆原始人みたいだ。
お父様の口癖は「ちょっと考えりゃ分かる」。確かに。自然の摂理は感覚で得るものだ。そんな感覚が現在の私たちには欠けてきているのではないかと思った。
記念すべき第一番目は四回生の男の子。うらやましすぎてしょうがない。後から登れるのに・・・。上から興奮する叫び声が聞こえる。みたくてみたくてうずうずした。中はどうなっているのだろう。どんな景色がみえるのだろう。
若い子からという先生の指示の元、四回生が次々と入る。四回生が入っている途中先生が入る。我慢出来なかったのだろうか?と思い気や、電話工事が行われるらしい。しかし、この電話はただの電話ではない。糸電話だ。子どもの頃にやったことがあるが、存在自体も忘れかけていた。まるで退化してしまった私たちにはぴったりだ。
工事のあと、第一会話は中谷先生@高過庵〜藤森先生のお父様@地上だった。とりとめのない会話なのに何故か笑ってしまう。糸電話の性能は思ったより好調。私もお父様と中谷先生の会話のあと、先生と会話し、登る許可を得る。
上に登るというのは何故こんなにわくわくするのだろう。子どもの頃の木登りを思い出す。そういえば、子どもの頃やたらと高いところに登るのが好きだった。高さの怖さより興奮が勝った。踊り場で一旦休憩。結構高い。上から誰かが降りてきた。二人でいっぱいのスペースだ。落ちないようにお互いに気をつけながら私は上へ。
内部がみえた瞬間、またもや叫んでしまった。とにかくかわいい。子どもの頃ピーターパンをみて子供たちが住んでいる家に住みたいと思ったがまるでそんな感じ。秘密の基地にきたみたいだ。それでいてお茶室の上品さも一緒に兼ねている。思わずねころんでしまった。お昼寝をして起きたらここだったらどんなにいいだろうか・・・。藤森先生に子どもの頃の夢を実現してもらったような気がした。
窓は全部で三つ。
一つ目の窓からは諏訪の景色といっしょに藤森先生の処女作「神長官」がみえる。施工10年がたった「神長官」は雑誌でみたものよりも味が出ていい雰囲気だった。
二つ目の窓は月見台。月見台はなんといってもやはり出しているときが一番いい。月見台を収納しているときと出しているときの高過庵の表情はまるで違う。ここからみる月は格別だろう。思わず月見台にでたくなったので、でることにした。ちょっと不安定だが、おもったより頑丈だ。こわごわ月見台にたってみた。突風がきたら死ぬかもとおもいつつ下の皆に手をふる。こわくてどきどきした。
三つ目の窓に糸電話が設置されていた。そこで糸電話で夢中になっていると下の方にちいさな祠がみえた。一度その前を通ったときは気がつかなかったのだが・・・。藁で出来たとてもかわいい祠。見たくなったのでついに降りる決意。ずっとここにいたかったけど・・・。
登るよりもやっぱり降りる方が怖い。あまり下をみないように降りる。
皆の顔をみるとみんながみんな笑顔だ。笑え声がたえない。人を幸せな気持ちにさせる建築って本当にあったんだなと思った。初めて来るのに何故か懐かしい。なぜだろう。
上からみた祠に近づいてみる。祠はちゃんと御柱に囲まれて前の畑と一緒に山の下までみていた。ここら辺の神社や祠はどこをみても御柱立っている。ない神社がないのではないかと思えるくらい。
とてもかわいい祠。思わず手を合わせる。気になってお父様に聞いてみる。「この前帰ってきたときにぱっとつくったんや。」・・・・。これも藤森先生の作品らしい。祠までつくってしまうとは・・・。
藤森先生のつくる建築はどこかなつかしい。かわいらしく私たちの心をとらえてはなさない。
高過庵をカメラで撮るとき、今まで建築を撮っているときと何かが違うと思った。
それは人が写真にはいってほしいということだ。今まで色んな建築の写真をとってきたが、あんまり写真に人がはいってほしくないなと思うときがよくある。しかし高過庵はちがっていた。人がはいってこそまた味がでる。そんな建築だと思った。そこには必ず人の笑顔がある。
最後に、藤森先生のお父様に糸電話にサインをしてもらった。なんで私が・・・という顔をしはると思い気や快くサインしてくれた。
「努力次第」
お父様の座右の銘だ。
ありがたいお言葉と退化してしまった私たちを笑顔で迎えてくださったお父様。ありがとうございます。