意図されない過去へ *本論は雑誌『10+1 No30 特集都市プロジェクト』(INAX出版)に紹介された論をもとにしています。 清水重敦
1999年4月、奈良文化財研究所という職場を得て、生まれ育った地、東京を離れた。奈良文化財研究所に来てまず不思議に思ったのは、関西弁があまり聞かれないということだった。東京の人間が関西に住むとなると、まず立ちはだかるのがことばの壁だと思っていたから、この違和感のなさは意外だった。
奈良文化財研究所がフィールドにしている平城宮跡では、古代の建物の復原事業がおこなわれている。私が赴任したときには、東院庭園の隅楼の復原工事が進められつつあった。この隅楼は平城宮の東南隅で発掘された二階建と思われる建物で、復原された建物の頂部には鳳凰が据えられた。隅楼に隣接する敷地には、以前からボーリング場があって、ボーリング場の屋根には巨大なボーリングのピンが立っている。隅楼の鳳凰はこのピンと並ぶことになった。研究所のメンバーからは、あのボーリング場を何とかしないと、という声が聞こえてきた。
私もそこにある違和感を感じた。ただし、ピンに対してではなく、ピンを邪魔だとみなす考え方に対してである。隅楼は古代にはたしかに存在していたとはいえ、今そこにある隅楼は新築の、新参者である。なぜ後から建った建物のために、ボーリング場のピンが邪魔者扱いされなければならないのか。むしろ、鳳凰とピンが並び立つ姿こそ、リアルな風景なのではないのか。現代から隔絶した古代の持つ衝撃力は、こうして現実の風景の中に立ち現れることで実感されるはずで、ボーリングのピンがなければ、それはテーマパーク以外のなにものでもなくなる。しかし、復原事業は現実の風景から隔絶した古代を創る方向に進もうとしている。
奈良といえば「古都」というイメージがすぐに思い浮かぶように、そこには古代以来の長い歴史がある。だが、その古代は、ここにみられるように、現代とは関係をもたない、断絶的なものになっている。京都や奈良は「古都」といわれるけれど、そもそも「古都」というイメージは近代になって創られたものだった。奈良で何にも増して古代の遺跡が尊重されるのも、このイメージから発しているのだろう。「古都」というイメージに代表される恣意的な古代のイメージとは、近代に創られた共通語のようなものなのかもしれない。今そこにある風景とは関係のない、観念的なものという意味で。奈良文化財研究所は、そうした共通語を具現化する組織として機能している。そこは関東弁の組織でないことはもちろんのこと、関西弁の組織でもなかった。
平城宮跡東院庭園の隅楼とボーリング場のピンの出会い
復原事業から、もう一つ、建築の持つ根源的な性格について考えさせられた。赴任以来3年半ほど、復原の設計に携わってきたのだが、古代建築の復原が、過去を考える意識的な方法としてある種の魅力を持ちながら、同時に抑圧的なものでもあるという思いを強くしている。復原建物が抑圧的に思えるのは、それが時間という概念を全く含み込まない建物だからである。それは永久に、その形のまま建ち続けることが運命付けられた建物である。かつての建物の姿を再現する実物大の模型と考えればそれでもいいのだろうが、それは構造的にも成立するよう考えられた実在の建築物でもある。建築は、時間によって変化していくもののはずなのに、復原建物はその性格を最初から剥奪されているのである。
アロイス・リーグルは、1903年にすでに、モニュメントの価値が、時間の中で生成していくものであることを喝破している(「近代の記念物崇拝−その性格と起源」1903年)。リーグルはまず、モニュメントを意図されたモニュメントと意図されないモニュメントの二つに分類した。前者は、そもそもモニュメントとして造られたものであるのに対して、後者は、時間の経過のなかで価値を持つようになり、結果としてモニュメント化したものであるとする。意図されないモニュメントをモニュメントたらしめる担保としての価値を、リーグルは古びの価値と呼んだ。リーグルはモニュメントの種類の分類としてこうした分析をしたのだが、この概念は過去を現在に継承する方法の分類にも延長して用いることができるように思う。過去の事物は、意識的に継承される場合もあれば、無意識のうちに残ってしまうこともある。また、かつての意味のまま継承されるものもあれば、時間のなかで文脈が忘れられ、その結果異なる意味で継承されるものもある。古びの価値という概念も、過去のものが時間経過のなかで風喰を受け、古び、変形した結果生じた味わいとして受け止めてもよいし、時間の経過のなかで当初の文脈が忘れ去られた結果、意味から自由になって生じる新たな使用価値と読むこともできる。おそらく日本で近代に発見されてきた過去の継承の方法は、こうした枠組みのなかのほんの一部でしかなかったのだろう。復原事業に違和感を覚えるなかで、過去を現在に継承する方法を豊富化しなければならないことを痛切に感じることとなった。
古代の持つ現代における衝撃力、そして過去を現在に継承する方法を、こうして考えていた時、同じく東京から関西にやってきてこの問題を異なるアプローチで考え続けている中谷礼仁氏から、大阪をフィールドに都市における歴史的連鎖を分析するゼミへの参加を請われた。ゼミのメンバーと大阪を歩いてみると、意図されない過去が現在に生きている状況が次々と見いだされてきた。それは古代にとどまらず、中世、近世、近代と、各時代層で見いだされた。いずれも、異質な時代層の複合によって、現在の都市空間に奥行きを与えている。だが、それらが引き起こす違和感はかすかなものなので、なかなか気付きにくいものであった。
意図された過去を継承していく方法に対しては、これまで幾多の考察が加えられてきた。復原事業がその一つの極である。それはいわば共通語のようなものである。それに対して、意図されない過去のあり方は、共通語によっては見いだしにくいものだったのかもしれない。それはそこで暮らし続けてきた者の視点、いわば関西弁の視点からもなかなか気付きにくいものなのかもしれない。よそ者の感じる違和感。それを頼りに、私はこの連鎖都市分析へと向かっていく。
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