事例1

条里制タウン
・地区名称:大蓮地区
・都市読みの技法:枕詞

□ 連鎖分析
八尾市と東大阪市の境界付近の幹線道路や高速道路が交錯するスプロール地帯を歩いていると、突然景観が一転する街区にぶちあたる。無秩序な街並みの中に整然と区画された街区が挿入されているのである。(図1)この街区が大蓮地区である。この周りの住宅地は近代に入り、スプロールによって形成されたあるにも関わらず、この整然とした街並みの対比は何であろうか?
そこで現代地図を見てみると、100m強の少々粗っぽいグリッド街区とその内部を細長い路地が縦横に通り、それに面して住戸が立ち並んでいるのがわかる。昭和23年撮影の航空写真に現在の街区と路地を重ね合わせた図を見ると、街区及び街区内部の路地が耕地であった時の敷地形態によるものであることがわかる。(図2)耕地のグリッドパターンは天保14年の村絵図にも描かれている。(図3)さらに時代を遡ると、大蓮地区の街区は古代条里制の坪と呼ばれるグリッド寸法とほぼ等しい。つまり、この街区のスケール、形態は古代条里制の遺構によるものなのである。
また、条里制の坪内部を分割する時に半折(はおり)型と長地(ながち)型と呼ばれる二つのパターンがあり、街区内の細長い敷地は、後者の長地型のなごりによるものと思われる。そして細長い敷地の縦横の向きは耕地時代における水路の都合によるものと推測される。(図4)
この地区の建物は2,3階の戸建てと長屋がほとんどで平屋の建物もある。また細長い短冊型敷地ということもあり、関西の伝統的敷地形態の一つである「ウナギの寝床」はほとんど見受けられず比較的奥行きの浅い住宅が多かった。
つまり、大蓮地区は古代の条里地割を残したままの敷地形態の上に近代のスプロールが広がったために周囲とは異なる景観となったのである。(図5)
□ まとめ
律令国家崩壊後、大蓮地区は古代条里制の形だけを現在にまで引き継いできた。そのことを、この地区に住んでいる人々はほとんど意識することはない。建物自体昭和中期以降のものがほとんどであり、それ程古い町という印象はうけない。しかし、この街区の異様に細長い敷地形態や均質な都市空間は、古代条里制の区画をそのまま用いることによって生じたものであり、古代条里制が大蓮地区の性格を無意識のうちに特徴づけてきたのである。(登尾)



図1  現在の大蓮の町並 図3  天保14年(1843年)村絵図
   (『郷土をたずねて 長瀬農業協同組合90周年記念誌』荻田昭次)

図2 航空写真と現在の路地との重ね合わせ図
   (昭和23年米軍航空写真)

図4 坪の分割パターン
  (『条里制』落合重信 参考)

図5 現状の大蓮地区配置図


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