事例2
古代軸の発見
・地区名称:八尾木西交差点その他
・都市詠みの技法:句切れ□連鎖分析
図(fig.A-a)で示すように、計画道路が、ある場所でいきなり曲げられている箇所がある。五叉路というのも怪しい。そこで、曲がらず真っすぐに道を延長するとどうなるのか調べるため、補助線を引いてみた。とぎれとぎれだが、大小さまざまな道が同一線状にのることがわかった(fig.A)。なぜ真っすぐ通さなかったのか。また、何がそれを妨げたのか。
そこで、計画道路が出来る以前の様子を記録した明治の地図を見てみると、その線上には、近代において道路が通される以前に発達した中世集落が、ほぼ等間隔で立地しているのがわかる(fig.B)。そして、その集落の位置は先の計画道路が曲げられていた位置にほぼ一致する(fig.A)。つまり計画道路は、それらの集落を避けたがゆえに曲がっていたのである。道がとぎれとぎれなのは、この道上に発生した集落の密度が、大規模な計画道路を通さなかったからだ(fig.C)。
ここで浮上してくるもう一つの疑問は、このように集落を発生させた要因とはいったい何なのか、ということである。なぜ中世集落は一直線上にのっているのだろう。
そこで、その道のさらに先には何があるのかを調べた。すると、西の延長上は住吉大社、東の延長上は信貴山のほぼ山頂にぶつかった(fig.B)。つまり、その要因は住吉大社から信貴山に向かって真東にかれた一本の軸だったのである。おそらくこの下には、隠れた以前の宗教的道筋があったはずである(fig.D、E)。
□まとめ
この古代道(と思われる道)は、中世以降、集落を発生させた。その後長い時間を経て、古代道は計画道路に取り込まれたが、集落部分は取り込むことが出来なかった。このように、観念的な意味を全く失った道と、古墳のように道を不自然に曲げてしまう中世集落、この2つの存在は、間違いなく、現在の都市構造に影響を及ぼしていたのである。
fig.A 住吉〜八尾道路概念図
fig.B 明治18年大阪地図
出典:明治18年大阪地形図
fig.C 中世集落により曲げられた道 fig.D 住吉方面から信貴山を見る fig.E 信貴山から住吉を見る
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