生活

オーストリアにおける西洋文化入門小冊子[1] 1904年

 

 私はこの小冊子を一年間だけという限定付きで発行しようと考えている。職業柄(私は建築家である)、年がら年中冊子に掲載するための記事を書くという、神経を使う副業に時間を割く暇はない。また一年間に24冊も出せば、言うべきことはすべて言えると思うのだ。この冊子の目的は、私の本職の一助にすることである。私は普段家の内装を作ることを仕事の一つとしており、顧客は西洋文化を深く理解しているひとびとに限っている。三年間アメリカで暮らし、西洋の文化形態を知る機会に恵まれた。そしてかの国で西洋文化の優位性を確信した以上、私が自らオーストリアの水準に(主観的に言えば)下りてきて見て見ぬふりをするのは自分の主義に反すると考えた。そして闘うことにした。この闘争に私はひとりで立ち向かっている。かつて西洋の生活様式を輸入するのはもっぱら貴族階級が担ってきたが、彼らはもう影響力を失った。なぜなら国家、具体的には教育行政が、生活様式から様式を作り出すのではなく、様式の力を借りて生活様式全体を作り上げようとしているからである。そして今、オーストリア人が西洋文化を身につけるのに新たな困難が加わった。貴族と庶民を隔てる壁が出現した。それが分離派だ。この冊子の目的は壁に突破口を開くことにある。

アドルフ・ロース

(563文字)

 

  1. 『他なるもの』(Das Andere)は1903年にロースが執筆・編集を手がけて刊行した雑誌。第1号はぺーター・アルテンベルクが刊行していた「Kunst」の付録として10月1日に発行され、2週間後に発行された第2号は独立した雑誌となった。しかし、本誌は2号までで廃刊となっており、その背景にはロースへの設計依頼の増加があったとされている。「オーストリアのための西洋文化入門」というサブタイトルがつけられ、主にアメリカとイギリスをとりあげてウィーンの文化に対して批評を行っている。(『にもかかわらず』一部所収)