私の闘い

1911年

 

 建築家アドルフ・ロースは、昨日行った国民教育連盟の連続講演「我が工房より」において、自分の講演に「私の闘い」というタイトルをつけた。始めは何度も皮肉のこもったヤジに中断されたが、ロースは最後まで話し続けた。

 

「どんなものも、ただひとえにそれが何のために使われるのかという目的を考慮して作られるべきです。装飾は野蛮なものです。装飾を求めるという野蛮さは、19世紀の中頃に始まったと考えられます。そのころから装飾のせいで本来の職人仕事が虐げられるようになっていったからです」

 ロースは1890年代に一群の建築家たちによって作られたものと、オルブリヒやホフマンに対抗して自分が作ったものをスライドで対照的に示して自分の考えを肉付けしていった。さらに自分の主張を裏付けるためにヘヴェシ[1]が書いたロース、オルブリヒおよびホフマンに関する論考を読み上げ、こう語った。

「建築家は大工の棟梁を下に見てはいけないのです。家はあらゆるひとびとが気に入るものでなければなりません。それに対して芸術作品は私的な存在であるべきなのです。ウィーン市建設局の要望を受け、この夏、ミヒャエル広場の私の建物のファサードには装飾が付けられることになってしまいました」。

 建設局のあわてた対応を見て、ロースはしてやったりと思ったことだろう。そしてこの状況にふさわしい孔子の言葉で講演を締めくくった。

「世界から誤解されようと、ひねくれずにいられるのもまた偉大な魂である(人知らずしていきどおらず また君子ならずや)[2]

(635文字)

 

  1. ルートヴィヒ・ヘヴェシ(Ludwig Hevesi, 1872-1910)はオーストリア=ハンガリー二重帝国の作家・記者。分離派を支持する一人で、分離派会館に掲げられた標語「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」を考案した。また、ロースのカフェ・ムゼウム(ウィーン、1899)を「カフェ・ニヒリスム」と評した記事を執筆しており(ウィーン日刊紙「フレムデン・ブラット(Fremden-blatt)」1899年5月30日号)、このことにロースは「建築」という論考の中で触れている(『にもかかわらず』所収)。
  2. 論語の学而第一に含まれる「人不知而不慍 不亦君子乎(ひとしらずしていきどおらず またくんしならずや)」を指すと考えられる。