キュンストラーハウスの春期展示会

”新8時新聞” 1918年4月19日

 

 私が最後にキュンストラーハウスに行ったのは、もう20年も前になる。グシュナスフェスト(俗悪なコスチューム展示会)のときだった。その数ヶ月前にも足を運んでいるが、当時、絵画作品が展示されていた。

 その後、グシュナスフェストは中止になり、壁に絵だけが残った。あれがもう見られないというのも残念な話だ!

 今回久しぶりに足を運んでみると、見当たらない作品がいくつかあり、ゆくえが気になった。フリードレンダー[1]の「傷痍軍人たち」はどこにあるのか尋ねると、一階にあると言われ、行ってみたら違った。それは彼の作品ではなかった。

 キュンストラーハウスの展示壁も、先の大戦を無傷のままやり過ごすというわけにはいかなかったようだ。新たに別の作品を展示していたのである。

 私は以前からシェードル[2]のオリジナル作品を探していたが、今回の展示会で彼の作品が展示されていた。69番だ。2500クローネもの値段がついていた。だが彼の絵は元来それほど高値でなく、安定した価格帯で知られていた。偶然、こんな会話を耳に挟んだ。

「マイスター、あなたのお得意の静物画を一枚描いてくれませんか。1000グルデン払いますよ」

「それは払いすぎですよ。あのシェードルのオリジナルだって800グルデンなんですから」

 それですぐに69番が複製だと気づいた。

 いやはや、このご時世、複製の方がオリジナルより高くつくのである。偉大な作者を騙っているだけの作品など、あたりまえだが何の魅力もない。

 ここから先は私のつぶやきである。どうか深刻に受け止めず、読み捨てていただきたい。

 こんな展示会を開き、それをクンスト(芸術)とかキュンストラー(芸術家)という言葉とむすびつけるなんて、いったいどこの世界の話だろう! 展示番号4、31、94、129、130、134、136、140、159、171のような絵を芸術連盟がよくも採用したものだ!せいぜい趣味の悪い額縁屋で、店先の額縁のサンプルに使われる程度にすぎないものばかりではないか。

 かつて私はキュンストラーハウス設立記念の際に、こんな文章を寄せたことがある。「いくら商業顧問官から執務室のソファーにふさわしい風景画の注文を受けたからと言って、それはキュンストラーハウスの芸術的価値とは一切関係ないことである」。

 逆に展示されている風景画にふさわしいソファーを作って欲しいと注文を受けたら、さぞかしひどい代物が生まれるに違いない。なぜなら腕のいい職人が作るのではなく、芸術家(キュンストラー)がデザインするからである。

 今回の展示会の壁には、いわゆる世間で「美」とされている作品だけが並んでいる。これだけふんだんに月並みな「美」が並べられたら、真の芸術家が本物の美を表現したところで勝ち目はない。この物量を一発で黙らせることができるのはレンブラントぐらいのものだ。

(1172文字)

 

  1. フリードリヒ・フリードレンダー(Friedrich Friedländer, 1825-1901)はボヘミア出身の画家。ウィーン造形芸術アカデミーで学んだ後、イタリア、デュッセルドルフ、パリなどを旅行した。初期は歴史画家であったが、1854年以降は風俗画家としてウィーンの人々や兵士の生活などを描いた。
  2. マックス・シェードル(Max Schödol, 1834–1921)はウィーンの画家。1869年、キュンストラーハウスに入会。オリエント文明に傾倒し、世界各国の工芸品などを収集した。また、それらをモチーフにした静物画を多く制作した。