芸術と建築

1920年

 

 天才が生み出す作品は、同時代の人間にとって美しいどころか、ひどい印象を与えることがあります。その作品は同世代に向けられたものではないのです。一般の人間には、自分が美しいと思えるものを身の回りに置く権利があります。それをいつも使うからです。私たちは絵画や音楽がなくても生きていけますが、靴やイス、ベッド、頭の上の屋根(屋根付きの泊まるところ)なくして生きていくことはできません。

 

芸術が存在するのは —未来のため

産業が存在するのは—現在のため

 

 本来「芸術産業」とか「応用芸術」というのは、存在しないものなのです。私たちが日々使い、つぶしてしまうものは産業から生み出されるものです。そして食事や飲み物、車、住居といったものは、それを味わうためにも、見た目もいいものでなければ困ります。

 一方、芸術作品そのものは使うことによって損なわれることは許されません。永遠のために存在しているのです。そのため芸術作品は価値が失われないように、実際に使用していいものではないのです。芸術作品が自らの使命を果たすには時間が必要です。長期間絶えず観察することによって、芸術作品がひとびとにとって拒みがたいものとなるまでには時間がかかります。芸術作品は将来醜いものにはならない代わりに、かつて誰にとっても美しかった、ということもないのです。

 しかし時代が変わり、芸術作品が使用されるようになった結果、ひとびとによって産業芸術作品が求められるようになり、流行りが過ぎればそれが笑われるようになってしまいました。それもそのはずで、女性にとって十年前の帽子が今も魅力的でありつづけるなんてことはありえないからです。産業芸術作品はモードとともに消え去っていきます。

 しかし真の芸術作品はモードとともに消えるようなものではありません。芸術作品は、人間がその作品の高みに上ってくるまでじっと待ち続けます。芸術作品は人間が生まれた瞬間から最後の鼓動が止むまで、深い魂と深く動かされたエモーションを捉えるのです。

 時代遅れの人間も確かにいます。時代の風潮からズレた感覚を持つのろまなひとびととでも言えばいいのか、彼らは同時代と生きたいとは思わないんですね。彼らが夢見ているのは、日常生活の中にあったものがまだ芸術だった昔のことです。そして彼らは口を開けば応用芸術のことばかりを語ります。

 彼らの中には古い時代のフォルムを真似る者もいます。腕のない狂人みたいなもので、彼らはまるで昔の張り骨入りのフープスカートをはいて、中のズボンをのぞかせながら大通りを歩いていく年のいった女の人ですね。

 この危険なひとびとは古い時代をもう一度呼び戻し、現代芸術を日々使用する日用品に変えてしまおうとしているのです。精神の犯罪者です。彼らは真の芸術家の行く手を阻もうとし、人類を芸術から遠ざけようとしているのです。ひとびとが芸術に美しさを求めるようになってしまった責任は彼らにあるのです。というのも、靴と絵画を同じ地平に置いて考えようとする者は金輪際、絵の美しさを味わうことはないからです。

 現代にふさわしい人間は、文明を退化させようとする試みと闘うのです。彼は芸術と日用品を混合した作品など求めていません。精神と物質をごっちゃにすることを求めてはいません。しかし確かに芸術と産業を、精神と物質を、神と金を合わせたものを求めている民族がいるのです。彼らはその中でこそ安らぎを覚えるのです。ドイツ民族です。

 彼らの中ではすべてが芸術作品です。古いものの真似をするつもりもないし、昔のフープスカートをはいた女性に逆戻りするつもりもない。彼らはあくまで現代芸術の作品を求めているのです。ドイツ民族は芸術に向かい、芸術のもとへ足を運び、痰壺の中にたんを吐き出すように、雑誌”L’art et la decoration allelmande“に掲載されたペーター・ツァプファーの最後の作品を唾棄し、1918年には「商売に役立つ芸術」と名のついた展示会を開催してしまうのです。

ひそかにドイツの方を向いて、フランスには同じものがないと嘆いているフランス人はいます。彼らはフランスではそんな作品が作れないことを嘆いているのです。

 それにもかかわらず、フランスの精神はそんな野蛮なことから自らを守り、過去への追想の沈滞を諌めてくれます。フランスはそんな裏切り者に対して、しっかり身を守っているのです。

常に使用する作品は今のために、芸術作品は未来のために作られているのです。絶え間なく使う日用品は、新しいものを生み出すためには、その価値が失われなければならないのです。日常的に使う物体Xのフォルムは見た目が気に入らなくなるまで、ないしモードでありつづける限り、保ち続けます。このことは職人なら誰もが知っています。

 女性服を手がけるテーラーは、家具職人よりも早く型紙を変更します。もし工芸職人が女性服のテーラーなみにフォルムを早々と変更するとすれば、あるいはもし工芸職人の作品をダメになるまで使い切れないとすれば、さらにもし美的感覚上の問題から捨ててしまったとすれば、材料と仕事は無駄になってしまいます。私たちは今日でもなおPlumetとSelmerscheinの暖炉を暖めることができます。私たちが二十年後も暖房として使用するものに「芸術家」の名を冠することは礼儀上できるものではありません。

 末長く使う作品を作る職人は保守的なものです。次第に人間は精神的な傾向と物質的な傾向の間に境界線を引くことができるようになりました。この二つの傾向の間の最後の闘いは十九世紀の終わりにありました。それまで職人と芸術家はひとつの存在でした。芸術作品は使用され、使いつぶされてきました。こんなことは今日の人間にとっては野蛮以外の何ものでもありません。

 あらゆる産業はしだいに芸術の領域から引き離され、今日では建築分野が芸術から引きはなされていこうとしています。

 かつて建築は芸術でした。今日では芸術にこだわる建築は刺青のような、不要な仕事以外の何ものでもなくなりました。なぜなら建築は、使われ消耗されるために作られており、同時代人に気に入られなければならないからです。

 これは同僚たちに伝えるには、悲しすぎるニュースでしょうか?彼らを苦しませることになるでしょうか。私がこの事実にたどり着くまで、確かに大変な闘いを強いられてきました。私が建築家だからです。しかし私は闘うのをやめました。そして今ではすっかり幸せな人間になりました。私は自分が、ひとびとと今日の時代に奉仕するべき一介の職人であることを知っています。しかし同時に芸術が存在することも知っています。芸術に関して言えば、私はその事情をよく分かっています。芸術は注文を受けて作られるものではなく、自分自身に寄って立っているものです。芸術家はコンドルのようにどこか見知らぬ土地へ消えていくことが飛躍の道筋だという思いがあります。私はそう願っています。

 

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