バブル・震災・オウム教

中谷礼仁


●サティアンの窓
材と材との隙間を埋めるシーリングの性能の向上は著しいものがある。防水、耐熱はおろか荷重を担当できるような製品まで開発されているのだから驚きである。シーリングは大それた施工作業を要せず、クリーンルームのような完全に密閉された空間が現在では素人の手によっても実現できる。一昔前までは考えられなかった状況だろう。
上九一色村の様子をブラウン管から眺めていると、サティアンの壁にうがたれた窓やら通気孔やらSFめいたお化けダクトやらの納まりがとても気になってきた。それらは手の痕も荒々しい「毒ガス」阻止用のシーリングで塗りたくられていた。おそらくなんの安全措置もない建設現場で、不眠不休の出家信者が来たるべきハルマゲドンに追いたてられながら、彼らの空間を方舟さながら孤立させようと企てた行動がそのシーリングの痕跡に現れていた。それと同時に、現代では「孤立する」なんてことはなんともお手軽に実現しうることも、このシーリングは物語っていた。彼らの観念に根づいたこの自閉性は、彼らが阻止しようとしている外からの毒ガスが実は自らの内から発生してきたものだということを全く見えなくさせている。そして彼らの敵が「国家」や「警察」だけではなく不特定の「わたしたち」であったこと、いや彼らにとって「わたしたち」がほとんど虫ケラ同然の存在であったことに気づいた時、わたしたちは彼らを「敵」として日常世界の外部に放逐しようとしている。そんなわたしたちの行動も、実は同じく自閉的な方法にたよっているのではないだろうか。もう少し事態が進んでいたならば、わたしたちは彼らからの毒ガス攻撃を阻止するために、手に手にシーリング材のチューブを持ちながら、ひがな一日を住み拠の隙間という隙間を塞ぐというような、自閉ゲームの一方の参加者にならざるをえなかったであろうから。
だからここで重要なのは、完璧な空気の浄化をめざしたサティアンの窓は、わたしたちの日常と全く同様に、現代の建築素材が保証した性能水準によってこそ成立しているという事実である。彼らとわたしたちとの間には完全に絶縁された壁がある。しかしその壁が成立しうること自体が現代の建築素材によってこそ促されているのである。オウムの内部自体が国家のシミュレーションなのだという指摘もあるように、サティアンは性能の向上著しいシーリング材のほか、ALCやらカラー鉄板等の通常の建設素材によってマニュアルどおりに構成されているだけである。このような意味でサティアン自体は近代化の過程が生み出した建築技術総体の一反映物に過ぎない。もしわたしたちがその風景に尋常ではない殺伐さを見るのなら、それは自閉的なサティアンの性能を保証するそれら建築技術自体にも内在する問題である。またその殺伐さは、空調完備のビル群から発散される膨大な排熱のおかげで、その隣のわたし自身もやむなく窓を締め切りエアコンを購入せざるをえなくなるような、現代の空間特有の「閉じた快適さ」がはらむ矛盾にも通底している。つまり建築物のあり方を規定する現代の下部構造そのものが、自閉し観念だけで充足してしまったような空間を積極的に支えようとする側面を持っているようにも思えるのである。これまでの近代思想の下での「観念」と「社会」とは、お互いに対立するものとして捉えられてきた。しかしサティアンの窓が示しているのはその対立が極限にまで強まりつつも、実はその蔭で双方がほとんど意識することなく共犯めいた関係をとり結びうるという倒錯である。この事態は「観念」が「観念」であることを問うたり、「社会」が「社会」であることを問おうとする積極的なものではない。互いがアクチュアルに批判しうるような立場にもいない。何となればシーリング一本でお手軽に「孤立」できる世の中なのだ。

●建築というギコチなさ
以前堅固な実体をともなっていたはずの建築そして都市が、しだいに溶けて見えなくなりつつある状況を一人の建築家が警告したのは60年代の半ばであった。そのとき建築は実際の社会よりも速くその危機的な構造を、表現の上でさし示すことができた。しかし「バブル」経済で始まった日本の90年代は、明らかに市場社会のスピードの方が建築表現を凌駕した時期であった。その頃、日本の土地を全部売却すればアメリカが何個も買えるというタチの悪いおとぎ話があった。しかしこのおとぎ話は当時の状況を的確に伝えている。それは市場で捏造された貨幣表現が、広大な土地も、そして国家という史上最大の構築物さえをも飲み込みうる可能性を示していたからである。このような状況は建築というちっぽけな構築物にとっても根底的な危機をもたらしていたはずである。
伊東豊雄が「バブル」の渦中に発表した「消費の海に浸らずして新しい建築はない」(『新建築』1989年11月)は、そんな当時の状況に対する建築家側からのとてもセンシティブな論文であった。ここで伊東は消費社会の全面肯定を宣言したのでは無論ない。彼が執拗に繰り返していたのは、すでに建築が手放しつつあった、この現実をつき動かしているリアリティー(=消費社会)を、ふたたび建築を回復させることの前提に据える必要性であった。
しかしここで重要なのは、たとえば吉本ばななの小説『キッチン』(1988年)が消費社会のなかの少女たちのリアリティーを「実に生き生きと」つかんでいることに比較して、彼自身どうも建築の分が悪いこと、つまり建築がダイレクトにリアリティーを表現しうる手段とはなりえずに、その実現に何か根底的なギコチなさがつきまとっていることを意識していた点である。では当時、このような建築のギコチなさがせりだしてきたことの理由はいったいどこに求められるのだろうか。
サティアンの住人の行動は、彼らの内部に胎胚したいかなる批判をもよせつけない観念「最終解脱」にラジカルに直結していた。以上のような意味では彼らにとってのダイレクトな宗教的体験を、他者としての社会構造的な体系へと変換させる意志自体が当初より放棄されていたのである。しかし彼らの観念は90年代初頭の「バブル」と伴走するように肥大化し、他者を消し、「全世界の最終解脱=ハルマゲドン」へと向けて疑似的な社会性をまといはじめた。すでに他者ではない「虫ケラ」同然のわたしたちに、彼らはさまざまな疑似社会的プロセスを通じて「ポア」の機会を与え、そして見返りに「御布施」を搾取した。その手法は雑誌、ラジオ、アニメ、コンピューターネットワークを駆使したメディア攻撃、街角のパソコンショップや劇安店やラーメン屋によるゲリラ攻撃、そしてレーザー、毒ガス、プラズマ砲による疑似国家間攻撃といったように、現代社会における主要な収奪システムのダイレクトなパロディになっているのである。このような彼らの現代性-迂回した一切のプロセスを嘲笑い、よりスピーディーかつダイレクトに解脱を達成すること-から建築は当然外された。建築は「観念」の充足のみによっても、逆に観念をなし崩しにする「社会」のみによっても、あるいは両者の共犯めいた関係によっても成立しない。むしろ両者の相互参照の場に捩れ捻じれながら発現してくるような、そしてしまいにはこの対立自体を無効化してしまうような、いささかギコチない構築的体系だからである。だから建築は至上の命題にむかって突き進む兵士にはなれない。観念がそのままで実体化しうるようなオウム-現代的な共犯のシステムを敏感に感じつつ、伊東はそのことをもって建築にギコチなさを見たのではないだろうか。

●予言の他者
ではオウムと社会的システムとが共犯めいた関係を取り結んでいるようなこの現在にとって、その他者とは一体誰でありうるのだろうか。
絶対者としてのグル(導師)・麻原彰晃はいくつかの予言を的中させたと信者は言う。しかし1995年1月17日未明に発生した阪神淡路大震災は彼の予言にとっても他者であった。ひっくり返った高速道路や雑居ビル、刻々と上昇する死亡者数、瓦礫となった都市。しかしこの光景は、「世界一」の耐震建築立国としての日本にとっても、存在しえないはずの他者であった。
当時、炎上する神戸市街の映像を背景にしてTV画面に登場したいわゆる耐震技術者たちは、現行の基準の優秀さを必死に説き、倒壊した建築の多くは施行以前のもの、あるいはなんらかの施工的欠陥のあるものと言いたげであった。彼らの立場の難しさを感じつつも、しかしこの「解説」は外れた予言のいいわけめいて聞こえる。つまりこの論理では、それらは自らがコントロールするシステム-予言-からはみだした「ノイズ」であり、つきつめれば「わたしたち」には関係がないし、責任を負うべきものでもないということになるからである。しかしむしろ日本の風景のほとんどをかたちづくっているのは彼らの視点から抹消された現行法規以前の建築物であり、また施工的欠陥は当事者のみの責任ではなくそれらをコントロールする行政システム自体の問題をも含むものである。この「解説」には、これまでの日本の風景を築くための一翼を担ってきたはずの、彼ら自身の過去への省察が欠けている。自身がその「ノイズ」を育んできたシステムの内にいたという事実を消している。このとき震災がもたらした批判的な他者性は、オウム-現代的な閉じたシステムのなかですでに変質を被っているのである。
この図式から見えるのは、極度に現代的なシステムだけで充足した方法論が、雑多な過去の上にたって新しさを吟味しようとする継続的な方法論を駆逐するというお決まりの悲劇である。想像をたくましくすれば今回の震災によって、ようやく実地に機能しつつある街づくり、地場生産関係の積極的な見直し、保存運動等のギコチないけれども継続的な方法論等が根こそぎにされる可能性だってないとはいえない。この兆しは復興に向けた都市づくりにおける行政側と住民側との対立となってすでに明瞭にあらわれている。わたしたちは復興中の神戸の上空を至上の命令をもってかけめぐる〈兵士〉の姿を見、そして建築の不在を見るのである。
実見した芦屋の街角は倒壊した文化住宅でうめつくされていた。しかしその傷口からは、それら住宅たちがいまだ生き続けていたことを示すように、新鮮な木の匂いが漂いたちこめていた。そしてそれら切断面からは、骨董めいた品々からパソコンまで実に様々な生活の器が崩壊寸前のまま展示されていた。つまり震災という〈予言の他者〉が教えてくれたのは、現在という枠組みが、むしろ過去からの雑多な事物の複雑な連鎖によってこそかろうじて保たれているということだったのではないだろうか。

●サティアンに縁側をつくろう
観念の充足のみによっても、逆に観念をなし崩しにする社会性のみによっても成立しない建築のギコチなさは、逆に建築がいまだ批評的な存在になりえていることを示唆しているのかもしれない。両者を行き来せざるをえないこの行為は、社会的実体と思われていたものが実は観念的なものであることを悟ったり、観念的な運動のなかに実践を見いだすことにずいぶんと長けているはずだからである。
バブル・震災・オウム教とは、つまり「観念vs社会」という大きな二項対立的思考の果てにおこった出来事であった。その完全な断絶の果てには、実は観念と社会とが秘密めいた取引をしていたこと、観念の実体化とでもいうべきこの事態にその当事者自身が気づいていないというおぞましさのみが残った。90年代の折り返し地点までにおこったこれらの事件をふりかえることによって、建築は自身の観念性が無意味になるような他者の領域に触れることができるだろう。しかしその他者との共同作業によって建築はなお立てられなければならない。そのために求められているのは、シーリングで密閉された「窓」としての建築ではない。もっと微妙な境界領域を検証しうる装置、たとえば「縁側」のようなものなのではないか。わたしたちと彼らとの間にあるサティアンの壁に縁側をつくろう。退却することもできない、立てなければならない存在であるところの建築、この建築のギコチなさのみが現在のリアリティーなのだ。(4970字)


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