空飛ぶアーカイブ


*本編は日本建築学会発行『建築雑誌』2002年9月号に収録されたものの、ちょっと長め版です。

権利上雑誌での画像をお見せすることができませんが、ぜひどこかで覗いてみてやってくださいませ。

中谷礼仁

1.はじめに

〜聖の法力により、倉は強欲な長者の家から聖のもとに飛び去った。中身の米俵を追いついた長者に返したあとも、なお倉は聖のもとにとどまったという。〜

佐藤浩司氏の論考 1) を読んでいた時のことである。理由はわからなかったが、挿入された説話の断片に、心がざわついた。この民衆譚は連綿と語り継がれ、後に信貴山縁起絵巻によって、「空を飛ぶ」という全く思いも寄らぬ手つきで示された倉の超越性が、あざやかに描かれることになった。
さて氏の論自体は家(イエ)を成立させる基本的根拠をめぐるものであった。彼は、伝統文化の中ではその根拠が現在の生活を機能的に担う部分ではなく、むしろ先祖の形見や将来のための穀物を隠す部分−倉(クラ)−にこそあることを指摘していた。「何か」があるからそのバリアントとしての現在の生活が統御されるということだろうか。この倉の超越性の下に人は住んだ。各地の民家の屋根が機能以上に大きいのはそのせいであると思えるような興味深い考察でもあった。

さて本論の意図は、現在の建築を支えるアーカイブ(隠された基盤)と私たちとの関係の様々な構図を描き出そうとすることである。そんな矢先に、なぜかこの空飛ぶ倉の話を思い出したのであった。このイメージは、現在ますます高度化され、高速化され、共有化されつつあるという建築データ・アーカイブが持つ属性とその行方さえ、うまく先取りしているように思えたからだろう。

2.飛び続けるアーカイブ・WTC・コンカレント

2001年9月11日、ハイジャックされた旅客機の激突によるWTC崩壊事件についてのコメントは数多い。その中でも建築家・林昌二の寄稿 2) は独特の価値を持っている。氏はその途中で「私は今、もう一つの複雑な感情に襲われて」いると、話の道筋をかえる。
高層ビルと飛行機、両者は全く関係ないように見える。しかし彼にとってみれば青年の頃志しつつも戦後の《アメリカ》政策によって壊滅した飛行機設計とその後の世界において追求した高層ビル、要は一生をかけてきた両者が、互いに相まみえて果てたという特別な連鎖があった。これは単なる個人的、偶発的な道筋に過ぎないはずであった。しかしなお氏は話の鉾先を変える。両者は、一般的なレベルにおいても共通性を持つのだと。
「ジェット機と超高層とには、共通性があります。両者は石油に依存しており、エネルギーを多量に消費し続けることによって成り立っています。いっときでもエネルギーの供給が止まれば、ジェット機は墜落します。(中略)決定的な場面では逃れようがないという点で、日常の交通機関としては異様な存在です。」
つまり決定的な場面では逃れようがない塑性的な存在であることにおいて両者は同じなのだという。もちろんそうならないように様々に高度な回避措置が講じられてはいるものの、その高度さはむしろ根本的な塑性を前提としているからこそ生じたものである。両者はその属性において出会うべくして出会ったのだともいえる。
確かに飛行機は常に近代建築にとって憧れのメタファーであった。両者はともにこれまでの歴史・文化(地面)に対していつまでも接着せず飛び続けようとするかのような自律性、断絶性を持っていた。しかしながら重要なのは、その企図された断絶さえもが、もう100年近くもの時空を生きてしまったことのほうである。日常の建築の建てられ方を見ればそれがごく普通な状態になり過ぎてしまったことは自明である。

以上のような生産の行方をしめす典型例は、現在の総合建設業において着々と定着しつつあるコンカレント・エンジニアリング(CE)と呼ばれる生産方法であろう 3) 。それは製造の各作業工程を、従来の企画→設計→施工へというような直列型ではなく同時並行に進めることにより、製品開発のスピードアップ、コストダウンなどを狙ったものと定義することができる。建築型や要求内容がほぼ決まっている、例えば明日にでも欲しく、できるだけ大きく安くなどといった量販店や工場といったタイプにはかなり有効な方法であろう。そこでは少なくとも実施設計レベル以降からは、図面が共有され、各関連部門が緊密に連係しているのである。これは各担当領域に情報が均質に行き渡ることが必要条件であり、その背後にはもちろんCAD/CAE/CAM/CG(コンピュータ支援による設計/解析/製造/可視化)などの3次元データの共有・共用化(アーカイブ化)が可能になった現在の水準がある。このシステムによるメリットで特に指摘されているのは、情報の共有化による「透明性の確保」である。
CEにおいては各領域を回転するアーカイブの比重が飛躍的に高まっていることは容易に予想されることである。のみならずここでは、CE成立の基本点として、生産における「信用」をになう部分が大幅に移動したことに興味を持ちたいと思う。つまり異なる責任と役割を持っていたはずであった各部門が、いっせいに動くことが可能となるのは、実はそれ以外の「何か」がその動きを保証しなければならないはずである。CEにおいて新しい部門として表れてきたのは「生産センター」などと表現されるメタ・統括部門である。そこによる統括の根拠となるのは各社がこれまで蓄積してきた膨大なデータベース・アーカイブなのである。つまりアーカイブこそが生産の信用を負っている。そこから派生する「透明」とは普遍的に目指される基準ではなく、むしろ、事物のあり方を決める尺度が単一であるということを指し示しているのではないか。ある事物の価値があらゆる状況において等しいというのは実はかなり異常な事態なのである。もう昔のことだが、ある事物の信用を決めたのは、職人−長者一人ひとりの中にある分ちがたい彼の体系であった。しかし今はアーカイブは、長者という人格を離れて、空中に浮遊しはじめたというわけである 4) 。

さて近代という反歴史性は歴史を切断しようとした。しかしながらそこには既に確固たる歴史が生じてしまっていた。そのアーカイブの中でかよわい製作者は自らの事物の社会的正当性の根拠をさがしだそうとする。しかしその歴史にはさしたる行方がない。それがモダニズムのアーカイブ特有の性質である。それはいわば聖のところにたどりつかずに永遠に飛び続ける倉のようである。
そして同時に、飛行機と高層ビルは出会わないという我々の信念は、その根本としての飛び続けるアーカイブの中の情報からは生まれない。飛行機は高く飛ぶためのものであり、高層ビルは高く住むためのものではあるが、実際にそういう使い方以外のことをした歴史があったことを私たちは知っている。実は親和性の高かった技術体系が出会い、その作用を相乗的に示そうとする欲望(発明)を持つことは自明の理である。この見解からすれば原子力発電所に核爆弾を投下される可能性は、いまだってむしろありうることである。そのような使い方を禁じる根拠は、残念ながらこの飛び続けるアーカイブの中自体にはないのである。
つきるところ、アーカイブの信用は、その内容物にあるのではない。貯えられたものが明るみに出されれば、それはたちまちにして流通し、消散してしまうであろう。ゆえに米俵は、今を生きる糧として長者に返されたのである。むしろ信用は、その中に何かがはいっているかいないかにかかわらず、皆が「何か」を閉じ込めた倉があると信じることによって発生する。アーカイブの不滅性を保証するのは、倉自体である。その聖性ゆえに倉は聖のもとを去ることをしなかったのである。

3.くちはてるアーカイブ・弱い技術・コンバージョン・無意識

〜さて、その倉も年月を経て今は朽ちはて、なかには聖の着古した布衣の切れはしが納められているばかりであった。聖が死んだ後の人々はその衣の切れはしをお守りとした。さらに朽ちた飛倉は、その古材で毘沙門を刻まれ人々の信仰を集めたという。〜

飛倉の巻がおさめられたその絵巻は、あわせて3つの別の物語がおさめられていた。読者はその最後にあたる巻の結末、つまり全ての物語の最後においてほとんどなんの脈絡もなく飛倉が再び現れ、そのてんまつが語られるという奇妙な構成に遭遇することになる。しかしその朽ちゆくアーカイブというイメージによって、アーカイブの本質としての倉がこの世にあまねく遍在する存在に流転していくかのような効果は見事である。この結末によってこの絵巻そのものが、一種独特の価値をもって残ったようにさえ思ってしまうのである。前段において、私たちのアーカイブに抱く信用が、交換可能な貯蔵物そのものにあるのではなくこと、むしろアーカイブがその構えとして、交換しえない何ものかを常に保有する可能性を持つことから発生することを主張した。それはいわばアーカイブの形見として解体されるとき成就することになる。またしてもその説話において現在が先取りされていたといわねばならないだろう。たとえば以下のような偶然目にとめた記事をどうとらえればいいだろうか。

"法制審議会がマンション区分所有法で改正試案をまとめる"(2002年3月7日付)
   法制審議会(法相の諮問機関)の建物区分所有法部会は、マンションの権利関係などを定めた「建物の区分所有等に関する法律」(区分所有法)の改正案をまとめた。都市再生を進める上で重要なマンション建て替え要件を緩和・明確化したのが特徴である。(後略)


"国土交通省が木造住宅の長寿命化へ向けて技術指針を"(2002年3月8日付)
   国土交通省は、優良な住宅ストックの形成や建設廃棄物の排出量削減などを目的に、長寿命木造住宅推進プロジェクトを進めている。現在20年程度で取り壊されている木造住宅の寿命を森林再生サイクルよりも長い100年にまで伸ばすため、木造住宅を新築する際に配慮するべき事項をまとめた指針と、この指針を実行するための手引書を年度内に取りまとめ、地方公共団体や住宅関係の業界団体などに配布する。(後略)5)

たった一日のずれで発表されたこの記事は、しかし近代建築史を少しでもかじったものにしてみれば隔世の感があるだろう。記事の詳細を確認したわけではないが、近代的生活のシンボルたるマンション、その確固たる生活を保証した制度や建築実体そのものが、むしろその確固さゆえに変更を余儀なくされる。そして近代化にふさわしくないとして常に冷遇されてきた木造住宅がむしろ長寿命化の対象として浮上している。
確固たる近代生活の入れ物と、過去を引きずった木造とはアーカイブとして明確な相違がある。前者の性能を保証するのは、その体系の内実である。なるべく他者の要素の介入を回避する堅固な枠組みがある。変転する時間としての将来にあらがい、安全性を永久に確保するための。しかしその安全性の実体化が普遍足りうることは土台無理な話なのだから、その後に大きな欠陥や、機能上の改善したい点が見つかろうとも、それを改変することはむしろたいへん困難になってしまう。つまりこれは、ある時期の安全が、必然的に人災に転化するという奇妙な逆説である。たいして後者は弱い。他者とおりあいをつけねば存在しえぬような性能である。しかしその容易な改変性ゆえに構造を変え、現在まで人知れずその体系が存在するということが現に起こりうるのである。2年前に大阪で解体実測した23件の木造長屋群は、建て替え計画によって人々の意識に上るまで、100年以上その姿を変更しつつ存在してきた。わたしたちはそこに特有な変転する技術を弱い技術と呼んでいる。朽ち果てた倉のように、弱く流転するアーカイブの方が、新しいコンテクストの中にも不断に取り込まれ折り合いをつけることによって、生き永らえることがあるのである。知らず知らずのうちに。

どうやら意識されない伝達物としてのアーカイブというものがあるらしい。ばらばらに分解されて(それさえも気づかれずに)、私たちの日常に残っているかのような事物たち。ゆえに決して交換されえない者たち。むしろこれらが構成している無意識のアーカイブが私たちの日常の背後になければ、日常はどんなに味気ないものだろうか。一つの職能として成立しかけているリニューアル/リノベーション/コンバージョンが過去を単に交換可能なものに仕立て直すだけのものであるならば、それについては断固反対せねばならないだろう。もちろんそれは土台無理な話なのだが。なぜならある限定的な目的によって建てられたにもかかわらず建築という事物は、建てた人々の思惑以上の歴史的、文化的コンテクストを必然的に含んでしまう。ちょうど蜜を吸った蜂が、しらずしらずのうちに花粉を運ぶかのごとくである。つまり単一の価値付けは、その事物に含まれる可能性を持つ諸価値全体を決して言い当てることができないのである。

最近大阪の町を歩いている。古代から連綿と続く土地だからである。それは、時として驚くべき状態をつくりあげる。過去の条里制によって作られた田畑のかたちがそのまま宅地に形成されたスプロールの事例を学生が見つけてきた。その開発者たちはその過去からの形象を意識して受け継ごうとは思わなかったであろう。宅地にするにあたりなんの矛盾もなかったから、なんの意識もされず、その上に自然と家が建ったのである。私たちはそれを見いだしてしまったが、それはこの1000年以上見いだされる必要はなかったのである(図 ある大阪東部郊外の宅地とその終戦直後の様子)。
つまりこういうことはいえる。私の考えている歴史というアーカイブは、過去を過去として大切にしまい込むことだけではない。同時に過去を使うことだけではない。過去の事物が普遍へといたることのできる権利を、他のものと全く同様に確保することなのである。
(了)

(註1:「建築を通してみた日本」『海と列島文化 第10巻 海から見た日本文化』小学館1992年)

(註2:「ニューヨーク・ワールドトレードセンタービルの崩壊をどう受け止めるか」『新建築』新建築社2001年11月号)

(註3:具体的な事例は佐野幸夫「3次元CADによる生産革新とゼネコンの将来」『建築雑誌』2002年3月号を参照のこと)

(註4:余談ではあるが、このような現象は特定の建築様式の完成によって引き起こされるものだと思われる。様式が完成されれば、その後の建築生産物の価値の優劣を決定するのは、「如何に作るか」である。つまりは建築の経済的解釈、解体が引き起こされてくるからである。このような状況は、日本建築の様式が完成されきった江戸後期においてすでに表れている。当時の幕府の建築系の官僚達においては、本途帳という積算マニュアルによって建築を事前に経済的に抽象的に把握する能力が求められはじめたわけである。日本の積算技術はそのたまものである。参照:西和夫『江戸建築と本途帳』鹿島出版会昭和49年)

(註5:いずれの記事もhttp://www.j-center.co.jp/news_shin.htm 国家試験受験指導センター.による日刊建設工業新聞の同日記事のまとめによる。)


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