その二十三


このような別種の時空の構造は、最終話「その二十三」で、かなり突き詰められています。最終話は、一見、いつも通っていた東京駅ホテル内の食堂で、よく耳にするある男の声が、一瞬死んだ父の声にそっくりだった、という単純な構成です。しかし、よく読んでみるとかなり込み入った構造を持っていることに気がつきます。まず状況設定の推移は、「歳末の半月間ばかりの精養軒の食堂」から変わることはありません(表参照)。しかしそこは単なる「現実」とも「異界」とも指し示しえない空間であることが後に示唆されています。実はその「声」は死んだ父の声そのものではなく、死んだ父が、なお年をとったような「声」なのです。精養軒の食堂での「私」は、「その男の声」が現に聞こえてくるにもかかわらず、それが所属する時空のありかをもはや確定できなくなっています。なぜならその男の「声」は、死んだ父に所属するという意味では「異界」の産物です。しかしその「声」は同時になお年をとったような「声」でもあるという意味で生きた「現実」にも片足を突っ込んでいます。しかし、この状態が「異界」と「現実」とを不用意に溶け合わせてしまっているのだとしたら、このプロットの構造自体が崩れてしまうでしょう。つまりこの声は、「異界」と「現実」とを限りなく擦りあわせ、しかしその間に薄い紙一枚をくりこみ、双方をたたみこんだ空間から発せられているのです。
そして考えてみれば、デザインサーヴェイという紙の上のトレースも、どんなに克明に現実を写してもそれは決して現実そのものではない。と同時に、安易な「私」の投影そのものでもむろんない。この特質に正面から向き合ったのが後期、批判的サーヴェイであったような気がします。それは薄片の《際立ち》の中に、別種の可能性−不能性の可能性−を見つける作業であったように思えるのです。

現在、「東京日記」の挿絵は、10話ほどを描きあげたところで中断しています。それほどの作業量ではないのですが、テクストを紙の上に注意深くトレースし続けたこの行為の中にも、70年代の彼らと同じような時空が少しでも流れていたであろうことを、私は願っています。

参考文献)
内田百間「東京日記」(『現代日本文学全集 75』筑摩書房、昭和三十一年に所収の版を使用)
「フィールドワーク入門」『都市住宅』71年12月号、鹿島出版会
元倉真琴『アーバン・ファサード 都市は巨大な着せかえ人形だ』住いの図書館出版局、1992年
大竹誠『アーバン・テクスチュア』同上、1996年
真壁智治『アーバン・フロッタージュ』同上、1996年
松山嚴『乱歩と東京 1920都市の貌』パルコ出版、1984年


資料
表)東京日記の異変の現れる場所について

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