●何を残し何を壊したらいいのか〜復原にすら趣味判断がいる
改修は既存部分なしには成立しない。設計は、実測調査から始めた。改修の対象となった長屋は、明治四十年代の大火の直後に建てられた代物であった。比較的小規模で、急場建であり、その後約九十年間にわたって複数の改修の経緯をうけていた。総じて材の質が悪く、改修には堪えられないようであった。座敷はガレージとなり、壁はいちめんに新建材がはられていた。

(図3:改修前立面図)

(図4:改修前1階平面図。2戸分を併せて用いられていたが、その一戸分を改修した。)

また最大の問題は、その過程で道路に面した正面が、緑色の釉薬タイルで覆われた陸屋根仕様に変更されていたことであった。

(写真4:改修前ファサードの状態)

無理な施工のせいか、正面を支える柱下は腐朽し、それが建屋全体に過度な負担を強いていた。町並みという視点でいけば、すでになんらの残すべき部分もなかった。しかし歴史的フェティッシュが皆無であったことは、むしろ幸いなことであった。
ほとんど原形をとどめていない平面だったので、当初はどのようなプランであったのかを、かろうじて残った部材の痕跡から分析することにした。その結果現れてきたのは、サービスヤードである通り庭と、畳を敷き詰めた座敷と、押入れと階段で構成されるストックヤードの三つの帯で構成され、独立の厠を含めた裏庭が付属するという平面であった。

(図5:創建時復元平面図参照)

要求された条件を規定の面積に押し込むには、誰が吟味しても同じになるような平面である。長屋の平面計画には以上のように狭小な都市住居特有の普遍性が控えている。
しかしながら難問はここからである。このような経緯をへた長屋からいったい何を使い、何を捨てればいいのだろうか。史的観点から言えば全ての歴史の経緯を残したくなる。しかしながらそれはできないのである。
この難問を考える際には、最近活発な復原事例におけるジレンマを検討してみるとよい。つきるところ復元(復原もこの際含む)とは、かろうじて残った建築的断片をもとに、その全体を矛盾なく構築しようとする、想像的な新築行為である。しかし一つの遺構に、複数の復元案が提出されてしまうように、それは決して完全に再現されることはない。にもかかわらずそれを再現しなくてはいけないのだとすれば、では復元はどのような過程を踏んで、社会に正当的なものとして承認されるのだろうか。私見であるが、復元行為は3つの論点を順にふまえる。一つは現在の社会にとっての有意味性である。復元には失われた国家像の構築というナショナリスティックな動機を必ず含んでいる。しかし復元にあたっては、それゆえにこそ細心な実証が必要とされる。それは次の復元分析の正確性に依拠されることになる。そこで復元者は可能なかぎりの過去の断片を拾い集め、蓋然的にそれらを関係づける。しかしながら前提からも明らかなように、その正確性は比率的であり、決してその全体を復元できるものではない。その復元の全体性を支えるのが、復元におけるかくれた趣味判断である。復元者は復元される地点に建つべきその全体像を、まさにそこに建つべき姿として想定する。いわば一つの復元案がその地点ならびに復元者の知覚、ならびに倫理にとって、総合的に適合した事物として完成されなければならないのである。登呂遺跡に代表される従来の竪穴式住居の雄々しさを否定して、竪穴跡に土饅頭を置いた浅川滋男博士の復元案が、今日的に妥当と思えるのは、日本の古代以前を一つの国家に収斂することなく周囲の古代アジアに接続しようとする、私たちの総合的な趣味判断がかくれているのである。

(図6:竪穴式住居を焼くー御所野遺跡の竪穴式住居復元)

長屋の改修においても事は同様である。長屋という事物を存立させるに値する要素とは何だろうか。後段においてそれはさらに検討されるが、まずはそれに見あった材や構造における性能の有無が、一つの基準足りえるだろう。その際の性能とはその時々に意図された機能に内在する核のようなものであり、将来的に全く機能が変わりながらも、その変転を可能にしうる冗長的な(余裕のある)基底のようなものである。また過去を使った結果として、それは充分に新しいものでありながら、最も妥当的な全体性を持っていなければならない。善としての古さとは、この妥当性にかかわるものである。
当麻寺のように重層化された屋根は、当初の層を用い後は撤去した。

(図7:改修前断面図。三つの屋根が重ねられていた)

後の改修で増築された部分も整理され、採光を兼ねた中庭が再び復活した。以前の追加部分がむやみに構造的負担を強いているなど、純粋に構法的な意味で全体的観点を欠いていたからである。そのかわりに当初材はそのほとんどを手付かずに残し、新しく柱列を加えるなどの多くの補強を行った。またそれら補強は今後の改修に投企的に供しうる別の転用可能性を併せ持たせるようにした。後は新しい設計条件をパズルの一片として挿入して、プラン変更を検討していくことにした。その際のいちばん大きな変更点は、階段というパズルの一片の、直交化と格子耐力壁の採用である(建築家三澤文子氏からの示唆による)。これによって、長屋における桁行方向の耐力と2階での個的な作業スペースを確保しようとした。





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