東京日記とは何か


私の机の隅には、特別の筆箱が置いてあります。その箱の中には、ちびた鉛筆からまだ使っていない鉛筆、先の丸いものから尖ったもの、固いもの、やわらかいもの、折れたまんまのもの、色々な種類の黒鉛の鉛筆が詰め込まれています。
およそ5年前ぐらいだから、まだバブルが華やかりし頃、最終近い電車で帰ってくる会社勤めの私には、とてもうちこんでいた対象がありました。私はある短編集の挿絵を、ひっそりとした深夜、実家の2階にこもって、もちろん頼まれたわけでもなく、描いていました。テクストを読み、それが指し示しているイメージを捉えようとします。頻雑に現れる陰喩や登場物の性格を吟味しているうちに、このテクストがなにやらとても奥深い構造を持っていることに気がついてきたのです。今回はその作業を思いだして、この短編集が扱っている「東京」=都市のありようと、そこに棲息した人々の都市へのつきあい方をいくつか考えてみたいと思っています。
「東京日記」と名付けられたその短編集は、約四半世紀前に死んだ内田百聞という小説家によって、昭和13年の1月に書きあげられました。この作者については、昔の仮名遣いにこだわる名文家として、軽妙なエッセイストとして、あるいは幻想譚を得意とするカルト・ヒーローとして、一部で根強く人気のある人物です。しかし私が特にとりあげたい百聞とは、この短編にも満たない日記風断片の集りそのもの、としてしまっても過言ではありません。
この「日記」はその題名どおり、昭和10年前後の独特の雰囲気を持っていた、モダン都市・東京を舞台にしたタブローです。また奇妙なもの、得体のしれない生き物が効果的に登場するその内容からしても、百聞独特のクセを持つ都市的怪異譚として、彼の作品リストにおさめられるべき作品になっています。しかしこの「日記」は、単なる「都市を舞台にした怪異譚」という紹介ではおさまらない魅力を持った作品であるような気がします。おそらく「東京日記」には、つね日頃イメージしてしまう怪異譚の常套パターン―現実と、そこを脅かす非現実との拮抗という物語としての構造―と、質的に異なる新しさがあったからこその、現代的なリアリティーを持っていたのだと思うのです。そして、この断片集にナマのかたちでつまっているそんな新しさこそが、色々な時代に現れてきた都市の解読者たちのひとつの方法的原型になりえているのではないかと、つい拡大解釈してしまいたくなるのです。

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