東京日記をチャートで読解する


「東京日記」は、「その一」からはじまり、原稿用紙にして四、五枚程度を一話の単位として、全体として計二三話がおさめられています。これら全部を紹介することはできませんのでいくつかの話について、乱暴な要約を試みてみましょう。




ここでは、はじめの四話と、最終話である「その二三」をとりあげて、話の構造がわかりやすいように表にしてみました。「東京日記」は当時の社会風俗との関係からもいろいろ解読できる素材なのですが、いまは物語の構造としての特徴に眼を注いでみたいと思います。
「日記」ですから主人公はいちおう「私」です。しかし話の性質上、怪異現象が主役の立場を占めなくてはなりません。そのため、話を進行させてゆく出来事の主体は彼らにあります。主人公である「私」はそれらの現象の傍観者的な立場を保持しています。ここまでは「日記」という形式と怪異譚という性質とが決定した構造ですから、眼のつけどころは鋭いものの、驚くような新しさというほどではありません。
では怪異現象をひきおこす登場主体が、まさに化け物らしい「大鰻」の「その一」をのぞいて、「縦隊の足音」だったり、食堂のおやじの運転する「古風な自動車」だったり、「丸ビル」だったり、「男の声」などという、まったく化け物にはなりえないような無性格なものであったりすることはどうでしょうか。確かに一見新鮮な素材で、私としてもこの短編集の魅力の大きな要素であることを認めざるを得ないのですが、もはや当時のモダニズムのなかで機能している作家業として、これくらいのプロットの斬新さはむしろ当然であったかもしれません。では一体何がこの短編集の核心だといえるのでしょうか。

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