産業技術博物館のオープン


[1]”新8時新聞” 1918年5月2日

 

 ウィーン人にサプライズだ。来たる月曜日、産業技術博物館がいよいよオープンする。

 建物自体はもうずっと以前に完成している。場所はマリアヒルファー通りからヒーツィングに至る道の途中にあり、ちょうどシェーンブルン宮殿に面している。ここを通る度、なぜ門が閉まったままなのか誰もが疑問に思ったのではないか。戦争中だからだろう、と考えて納得したひとは多いに違いない。

 だが違うのだ。それが理由ではない。戦時中にもかかわらず、平時と変わらず博物館の準備作業はずっと続いていた。それほど手間ひまのかかる大掛かりな作業が行われていたのである。来たる月曜日、ウィーン人はその全貌を目のあたりにして驚愕するに違いない。分かりやすい説明と好奇心を満たす魅力的な展示物がふんだんに並び、見せ方と構成はドレスデンの健康医学展覧会に匹敵すると言っていい。つまり展示としては最高級の賛辞に値する。

 博物館の外観に関するウィーン人の評価はどうか。建物が目の前の通りとパラレルではなく、斜めに建つ点はマイナスだが、他は概ね気に入られているようだ。その延長に今朝の新聞のコメントがある。「・・・そして産業技術博物館は、様式の整った歴史あるシェーンブルン宮殿とよく調和している」。 

 私個人の感想も述べたいところだが、それは慎まねばなるまい。何しろ私は、ミヒャエル広場につくった建物によって周辺の外観を損ねた張本人であり、悪趣味そのもの、建築について語る権利などないとされているからだ。そこでベルリン市建築局のトップで、高級建築監督官であるルートヴィヒ・ホフマン[2]に代弁してもらうことにしよう。

「シェーンブルン宮殿に面してこのような建物を建てることは実に遺憾である。建物自体がきわめてひどいだけでなく、シェーンブルン宮殿の魅力まで損なう」。さらにドレスデンのマルティン・デュルファー[3]教授の弁。「こんなひどい作品について、いまだ真剣に議論していること自体がわれわれの芸術観の貧しさのあらわれである」。まあ、そういうことだ。

 見取り図を描く段階で広くて高い空間と回廊を組み合わせるというスタイルが選ばれたが、これは正解だった。劇場スタイルの生み出すパノプティコン[4]的な効果が、―その効果の強いのがバイエルン国立歌劇場である―このスタイルのおかげで相殺され、鑑賞者が別の鑑賞者の視線に曝されることがなくなった。同時にオペラを観劇しているような臨場感があり、本当に技術を学びたいと思っている聴衆が、手に取るように学ぶことができるのである。

 その一端を紹介すると、タキトゥスの時代に行われていたビールの醸造技術(当時、樽の中の水を温めるには、火で焼かれた熱い石を樽に投げ入れた)、昔の製粉技術、大鎌などの鍛冶技術などが挙げられよう。中でも機械製造の歴史は、この博物館の至宝そのものだ!さらに乗り物の歴史にも注目!1875年に製造されたオーストリア製の車は今見ても決して古くない。あの不滅の皇妃シシィ[5]が使った特別車両には、一目見ようとウィーン人たちが殺到するに違いない。

 一番人気を呼ぶのは鉱山の展示ではないだろうか。トロッコの迫力を体感できるのである。鉱山に関わるものならなんでもそろっている。迷路のように入り組んだ坑道、作業中の炭鉱労働者の姿、爆音を立てて作動する削岩機、それに石炭を入れる荷車まで展示されている。

(1395文字)

 

  1. 1918年に開館したウィーン産業技術博物館のこと。設計はエミール・リター・フォン・フェルスター(Emil Ritter von Förster, 1838-1909)とハンス・シュナイダー(Hans Schneider, 1860-1921)によるもので、大きな吹き抜けに回廊をつける形になっており、吹き抜けの上部は天窓になっている。ロースが本文中で述べているように、建物はシェーンブルン宮殿と向かい合うように配置され、目の前の道路とは平行になっていない。現在は自動車からテレビ、携帯電話に至るまで、主に19世紀以降の産業技術に関する物品を展示している。
  2. ルートヴィヒ・ホフマン(Ludwig Hofmann, 1852-1932)はドイツの建築家。1896年から1924年まで、ベルリン市の主任建築家を務め、ベルリン市の数多くの公共建築物を手掛けた。代表作に旧ベルリン市庁舎(1902-1911)など。
  3. マルティン・デュルファー(Martin Dülfer, 1859-1942)はドイツの建築家。1906年から1929年までドレスデン工科大学で教授を務めた。代表作にリューベック劇場(リューベック、1908)など。
  4. パノプティコン(Panoptikum)とは、イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham, 1748-1832)によって考案された、集中型の刑務所の形式のこと。一望監視施設ともいい、円形に配置された収容部屋と監視塔からなる。
  5. 不滅の皇妃とは、エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ(Elisabeth Amalie Eugenie, 1837-1898)、愛称シシィのことと考えられる。彼女はオーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。美しく自由奔放な皇妃として有名であり、彼女をモデルとした戯曲やミュージカル、映画が制作されている。