OUTCOME

Result (The content of Final Presentation at Feb. 03, 2011)

1 Purpose and method.

Recording of the "walked" experience.
Using GPS for analysis and take a considerable amount of photograph.

2 "Walking" 24th, 25th, 27th, 28th, 29th Jan, 2011

Showing examples of the surrounding areas around the factory site,
recorded by the participating students.

3 "Mapping" 24th, 25th, 27th, 28th, 29th Jan, 2011

Explaining the process of pictorial data recording.
Grouping the participants in three pairs. Set a theme of the day, grab a digital camera and a GPS and walk. Asking questions and taking photos on the way. Present each other the outcome of the day and discuss. All the efforts are put in a surface real time by the Google API to be analyzed. Focus the theme furthermore.

4 "3 Teams 3 Themes":Getting into pairs and focusing themes.

Team "beekari" did "PEOPLE with ROSE, PEOPLE with THORNS"....the lifestyle of people, varied due to the environment around the factory site.
Team "nalli" did "SEWAGE". In essence, the drain. The polluted district has clean water provided, but the drain is as good as discharged. To find out what happens with all the black water is their aim.
Team "kabadi" did "LOCAL ECONOMICS".... Researching the undergrounized-economy-network of the slum. Garbage are reused as cheap everyday item.

5 "Adopting to Future"30th, 31th, Jan, 2011

Proposal of the factory site plan was presented with a projection device by the other unit-master. The reasonable manner came up spontaneously. Hinted not from the interior of the factory, but from it's surrounding environments.

6 Outcome: "The guide to hidden context and daily life at 2011"

Gather the flow of Subjective view → Objectivization → Feedback
and we drew a map subjectively, from our recent experience.
Proposal of a route map, not just of the factory site but the whole of Bhopal.
A route map for visitors, which brings out the lively local life away from the haunting image of the "Tragedy".

7 "How to Use The Result" (or, "From here on")

This seems to be the biggest problem.
Though I gave several suggestions for this, personally I am willing for a re-challenge. Walking in districts we've missed out, for example.

Three hints for the days ahead:

presentation

(japanese)

まとめ(ファイナルプレゼンテーション画像の解説)

1 目的と手法説明(最初のガイダンスからの抽出)

「歩くこと」の経験を記録化→分析するためのGPSと多量の画像撮影

2 "Walking" 24th, 25th, 27th, 28th, 29th Jan, 2011

参加者学生がとらえた工場跡地周辺の生活風景の事例紹介

3 "Mapping" 24th, 25th, 27th, 28th, 29th Jan, 2011

それらの画像データの記録のプロセスの説明。参加者を2名ずつ3チームにわける。その日のテーマを決めてGPSとデジカメを持って、とにかく歩き、聞き取り、撮影する。各夜、その成果を紹介し合ってディスカッション。日ごとの成果はリアルタイムでGoogle APIによる画面に収録され分析の糧となる。さらにテーマをフォーカスしていく。

4 "3 Teams 3 Themes":チームの決定と彼ら自身によるテーマのフォーカシング

チーム"beekari"は"PEOPLE with ROSE, PEOPLE with THORNS" …工場の周辺の環境差による人々の生活の違い。 チーム"nalli"は"SEWAGE" …要は下水のこと。汚染地区について上水は供給されているが、下水は垂れ流しに近い。その下水がどこにいって、最終的にどのようになっているかを追跡。 チーム"kabadi"は"LOCAL ECONOMICS" …スラム的アンダーグラウンドの経済ネットワーク追跡。ゴミが再生されて、安い日用品に転化していく。

5 "Adopting to Future"30th, 31th, Jan, 2011もう一人のユニットマスターによる、
   彼らの経験にもとづいた工場跡地利用計画の提案を上吊りのプロジェクションで展開。

個人的には未完成な状態で終わったと思うが、工場跡地利用計画を工場内から発想するのではなく、周辺から攻め込んでいく方法が自然と構築された。これは今後も発展の可能性あり

6 Outcome: "The guide to hidden context and daily life at 2011"

主観→客観化→フィードバックの流れを総合して、もう一回主観的な経験的マップを描いてみる。ボパールを訪れる際の、工場跡地のみならず、それを含んで形成された「悲劇」のレッテルに隠れた日常生活を生き生きとよみがえらすルートマップの提案

7 "How to Use The Result" (今後の展開)

これが最大の問題で、一応それなりの理由を付けてみたものの、個人的には、やり残した街歩きも含めて、再チャレンジしたいと思っている。

今後のための3つのヒント
  • 多量の「ヘタクソ写真」をつなぎ合わせることで見えてくるイメージ"間"のコンテクスト分析
    https://picasaweb.google.com/nakatani.bhopal
  • 各日のディスカッションのフィードバックによって、フォーカサイズされたテーマによるトラックの変化、それによる街のクロニクルとの関係分析(特にチーム"kabadi"のLOCAL ECONOMICS探索による軌跡の変化は検討のきっかけを与えてくれる)
    http://www.nakatani-seminar.org/bhopal/kmlcheck_v2.html
    http://www.nakatani-seminar.org/bhopal/note/author/kabadi
  • 各日のディスカッション過程におけるトラックデータの有効活用…はじめてのこともありリアルタイムで彼らのトラックデータがフィードバックされたとはいいがたい。ここ肝の部分だと思った。
    いずれも別ページにて後に考察を発表する予定です。

『ヒロシマ・モナムール』という映画がある。アラン・レネ監督により1959年に製作された。この映画に登場する主人公たる男女二人。一人はフランスから来た女優で日本でヒロシマの映画を撮りにきた。もう一人の行きずりの日本人男性は建築家である。女優には過去に敵国ドイツの兵隊との秘事により、家族に監禁された経緯をもつ。ドイツの兵士は射殺された。複雑な背景を抱えた映画の筋だ。ここに原爆ドームの初期の姿や、丹下健三による広島平和資料館の竣工当初の姿がでてくる。驚くべきことに室内の床には水が打たれ、平和広場には焦土そのままのような空漠さが広がり、強烈な光が射している。日本と言うよりはインドのような風景だ。この映画は僕が常に先行形態論を講演するたびに参照していただくものだ。僕がボパールに来たかったのは、このヒロシマとの重なり合わせが多分にあった。19歳の頃ニュースで聞いた、ボパールの悲劇的な事件は衝撃的なものだったからだ。しかし、

「君は何もみていない」「私はみたわ」

男女によって反復されるこの会話のように、そのような「悲劇」への態度だけでは僕はボパールの現在をけっしてみられなかったろう。二日目に学生たちが、報告してきた工場跡地に普通にはいって、その跡地の気にたわわに実る果物をとって帰る女性たちの群れ、その”グラウンディング”の美しい写真(プレゼンテーションのWALKINGというページの写真に使ったものだ)をみたときに、私たちは方向性を変えた。

ユニオンカーバイド工場事故跡地の木にたわわに実る果実をとって帰る女性たちの群れ

そして「悲劇」の影に隠れた、工場周辺の日常生活を記録することに決めた。それがなお汚染の大地の上に実った果実であったとしても。

「悲劇」を基本とする限り、この複雑な土地にコミットすることもできないだろう。この土地に渦巻く様々なコンテクストを知るたびにそのあきらめのみが増幅された。”Jeeth, It is not my business.” 僕はパートナーに語りかけた。でもやはりワークショップは好きなのだ。そのような渦巻くコンテクストを一瞬吹き飛ばすような、だれもが素人になるような、目的と手法が存在する。そのタネを少しは学生たちと共有することができた。 最後に準備のときに最大限の知的協力をしてくれた「タクす会」の石川初、日埜直彦、木下剛、宮崎敦寛に最大限の感謝を記す。(2月1日の中谷の日記より抜粋)